さざ波ダイアリー

気持ちの揺れ動きのトリセツ

理解しあえる日を待っているらしい母

 

理解しあえる日を待っているらしい母

 

この2年間、親と子のあり方、というものを真剣に勉強してきてたどり着いた。 

 

私の両親、特に母親は「過干渉タイプの毒親」。

 

このことが理解できなくて、受け入れられなくてもがいていた1年目。

 

少しずつ、状況が見えてきた2年目。

 

状況が見えてくると、不安が減ってくる。

 

仕方ないな~、と思えてくるのだ。

 

そんなこんなで、昨日は母の日だった。

 

何もしない、という選択もできたのだが、今年はきちんと「ありがとう」の

言葉と共にプレゼントを贈った。

 

毒親であろうとも、そのことに親が自覚がなくとも、親は親である。

 

育ててくれた恩はある。

 

それは理解しているから、母の日に「ありがとう」と素直に思えた。

 

これは、自分的にはかなり大きな一歩だった。

 

俯瞰してみることができている。

 

意固地になるとか、そんなのではなく。

 

義理、でもない。

 

自分が存在する以上、そこに「親」は存在するのであって、どんな親であろうとも

親は親。

 

ただ、必要以上に恩返しをしようと頑張らなくていい、それだけだ。

 

このことに気づいてから楽になった。

 

きっと、自分が毒親だなんて、微塵も思っていないのだろうが、

なにかしら気づいてくれるまで待つ、という趣旨のメッセージを送った。

 

「理解しあえることを待っています。」と母。

 

理解しあえる、だなんて思っていない。

 

それは、無理な話だ。

 

それでも、そんなふうに思っている、今現在の母を俯瞰して思う。

 

「そんなもんだよね。」と。

 

だから、楽である。